デハ1801保存の経緯と将来

デハ1801保存会 会長
昭和56年までに小田急電鉄で廃車された1800形は、そのほとんどが秩父鉄道で800形として活躍していましたが、平成元年に元国鉄101系に置き換えられてしまいました。
廃車となった一部の車両は、倉庫などに転用されましたが、徐々に解体され2011年当時、元1800形が現存しているのかわからない状況でした。
以前群馬県高崎市内の自動車修理工場で事務所として使われていた1801号は、2004年頃に何処かに移動したようだが、これも解体されたのか現存しているのかもわかりませんでした。

2011年の秋に開催された、小田急ファミリー鉄道展の会場で、古くからの趣味仲間O氏に紹介された小田急ファンと言うK氏が、僅かな情報を頼りに、何日もかけて赤城山中を探し回ったところ、この夏に1801号を発見したと言う事を聞きました。
しかし私の中では、さほど好きでもなかった1800形が残っていると聞いても「あぁ、そうなの。そのうち写真でも撮りに行こうかな。」くらいの気持ちで、たいして気にも留めませんでした。

後日O氏から電話が入り、デハ1801を救って欲しいと言うのです。
わたしは趣味で古い自動車を何台か所有して、サビ落としや修理の経験はあるわけですが、そんな私なら電車もきれいに出来るだろうと言うのです。
確かに文化系でそのような作業にはまったく手を出さないO氏に比べれば、現実味はありますが一分の一の電車を直すなんて・・・
自動車だけでも大変なのに、そんなムリですよって断っていました。
さらに何日かして、K氏から1801は雨ざらしで、傷みが進んでいてこのままでは朽ちてしまいそうなので、どうしたら良いかと相談を受けました。
まだやる気の出ない私は、とりあえず雨水が浸入しないようにブルーシートでも掛けて冬を越して、暖かくなったら考えましょうと返事をしたのです。

そして、私としては忘れかけていた2012年春、K氏から冬に掛けたシートが剥がれ始めてどうにかしたいと言う相談がありました。
しかし言いだしっぺの彼は、仕事の都合で現地に行けないと言うし、パイプ役のO氏とも日程が合わず、結局私だけで現地に行くことになったのです。

さすがに、一人では心細いので古くからの小田急ファン仲間のS氏に久しぶりに連絡をとり、お付き合い願いました。
彼は、某公園で解体の危機にあったSLを市などに働きかけ、ボランティアで保存を続けていて、某鉄道保存公園の清掃や修繕のボランティアや千葉県で保存SLの修繕もしていて、鉄道車両の保守などの経験がありました。
いま考えると、当時疎遠だったS氏に連絡をして、同行をお願いしたのが不思議な感じなのですが、この人選は神からのお告げであったのかと思えてならないのです。

2012年7月初旬、彼と二人で赤城を目指しました。
行く途中いろいろな事を話しました。
実際1801はどのような状況なのか、修理が可能なのか、手遅れなのか・・・
「でもなぁ、1800形だからなぁ。」S氏もわたし同様1800にあまり興味がない様子でした
それもそのはず、私より若い彼は1800形の小田急時代をほとんど知らないのです。

3時間ほどで現地に付きました。
牧場経営のオーナーさんに挨拶をして、車両を見せていただく事に・・・
外れかけたシートからは、かなりくたびれた感じの車体が露出しています。
台車はあるものの、床下機器はなにもありませんでした。

以前は休憩室に使っていたと言う車内に入れていただくと、既に物置状態でしばらく使っていない状況でした。
一部の座席や網棚は取り払われ、運転席の機器はほとんどなく、そこかしこに雨漏りがありました。
特に車端部の貫通路の周辺は、穴の開いた屋根から雨水が入り、壁は落ち、床には水が溜まり、そこには苔が生えていました。

目を覆うような光景です。こりゃダメかぁ・・・

しかし、昔の車両は鉄板も厚く、致命的な損傷は無いように思えました。
そして私とS氏が出した結果は「今なら間に合う!」でした。
確かに、今の状態からなら何とか修復できそうですが、ここまで通って直すのは大変なことだと容易に想像できましたし、
この車両を修復・保存するとなると、短期的なお遊び的な考えでは済まされないのです。

鉄道車両を残すと言うことは、自分たち個人の「趣味の車両」ではなくなり、多くのかかわった人たちの思いも込められているわけです。
ですから、立ち行かなくなって「や~めた。解体しちゃおう」なんて話にだけはしてはならないのです。
この車両と向き合った時、私とS氏はお互いに心の中で考えたのです。
そして私はS氏に「やりますかぁ?」と、神妙な口調で言いました。
彼は「中途半端な気持ちではダメですよ。ずっと先までかかわっていく決意があるなら、一緒にやっていきます。」と言ってくださいました。
その決断をしたときは、身震いがするほど気持ちが高ぶりました。
オーナーさんも実に協力的で、皆さんの好きなようにやってくださいと言ってくださいました。

でも、不安はいっぱいです。
仲間は集まるのだろうか?お金は大丈夫なのか?
電車を直す知恵や技術があるのだろうか・・・
行く末、自分たちが死んだ後も、継いでくれる後継者が居るのだろうか?

でも、決めたのです。小田急現役時代私が一番好きでない形式1800形の修復をしていくと・・・

その時から、1801は愛おしい電車になったのです。。。

それから、2回の下見と準備作業を行い、その月の月末には10人を超える協力者と一緒に現地に入りました。
まぁ、私から声を掛けられたので断りきれずにお付き合いしてくださったと言うのが本当でしょうか(笑)

こうして2012年7月28日、一泊二日でデハ1801号の修復作業がスタートしたのです。

2012年夏、屋根の修復作業から取り掛かり、シーズン中に概ね屋根の修繕と塗装が終わりました。

2013年春からの作業では、屋根上の配管や避雷器、無線アンテナなどの取付、パンタグラフの搭載、
欠品していた連結器や胴受けの取付などを行いました。

現地での作業を効率よく行うために、作業は2日間連続して行い、デハの車中で泊まることが多くなったため、
2013年の作業は、宿泊環境を良くするための車内後部の整備を進めて来ました。

保存車両は出来る限り現役時代の状態に近づけて修復するのが一般的ですが
デハ1801号は、わたくしたちの発見時に客室の一部が失われていて現役時代に戻すことが難しいため検討した結果、
車両後寄りの座席や網棚などを、失われた前寄りに移設することにより、車両の前寄り2/3を現役時代の状態に戻して、
後部の約1/3を宿直やミーティングルーム、資料室と部品・道具庫にすることとしました。

また保存会の活動に賛同いただき、通常では手に入らないPS13型のパンタグラフを銚子電鉄様から、
床下機器の主抵抗器などを千葉都市モノレール様から譲り受けることが出来ました。


保存場所は赤城山麓にあり、冬場は寒さが厳しく作業が出来ないため、12月から翌年3月までは屋根をシートで被い、現地での作業を休止しています。 


○2015年作業シーズン終了時までの主な修繕状況

2012/072012/11
  ボロボロになった屋根のサビを落とし、穴の開いた雨どいを塞いでグレーに塗装

2012/08
  30年落ちの軽トラック「サンバー」を公用車として導入

2012/09
  事務室になっていた前室の床板を剥がしてオリジナルの床に戻す
  運転室に廃車後に取り付けられた水道配管など撤去

  2012/12/02
    標識灯、前照灯の整備。マスコン、B弁、計器類、警笛の仮取付

2012/12/17
  冬支度 冬季休止

    2013/01
     山梨県竜王町で個人が所有していた元小田急2327号が解体され、
   乗務員室ドアや
運転室部品を譲渡。(一部を1801に流用)

    2013/03
     解体業者から連結器や胴受けを譲渡。
   解体業者から廃車になった車両の座席(4人掛け)を譲渡

    2013/042013/05
     パンタ台、パンタ付近配管整備

2013/06
  1位台車に排障器取付。乗務員室乗降ステップ自作取付。56芯ジャンパー自作取付
  PT42型パンタグラフ仮搭載。避雷器自作取付。
  妻部貫通路出入口ドア取付
  銚子電鉄よりPS13型パンタグラフを譲渡搬送
  後室エアコン取り付け

2013/07
  千葉都市モノレールより主抵抗器、エアータンクなどを譲渡搬送

  2013/09
    後室座席を撤去、前室に仮置き
    欠品していた肘掛の作製

   2013/11
    春から進めていた後室の天井修理、整備が概ね完了。
    室内灯、扇風機の取付、NSE車座席、流し台などを設置。
  その後、電子レンジ、テレビ、冷蔵庫、ポット、カセットコンロ等設置
   2013/12/中旬~冬季休止

   2014年の作業など
   山側床下機器の製作、取付
    デハ1801の床下機器は、すべて取り払われていたため主抵抗器は、晩年の形にやや近い形状のものを
    千葉都市モノレールさんから譲り受け、一部改造の上取り付けました。
    元空気ダメ等のタンク類も、千葉都市モノレールさんから譲り受けたものを取り付けました。
    減圧弁やATS受信器などの機器は、廃車部品を流用したり、自作したものを取り付けました。
   屋根・パンタグラフの整備
    仮付け中のPT42タイプパンタグラフの塗装と、スリ板を取り付けました。スリ板はネットオークションで落札したものです。
    屋根は前年度に2回から3回の塗装をしていますが、一部サビが発生したため、再度屋根の全塗装をっしました。
   エアコン増設
    もちろんデハ1801は非冷房車でしたが、作業環境と宿泊環境向上のため、後室に家庭用エアコンを取り付けています
    前年に取り付けた一台に加え、もう一台取付、室外機は床下に吊るして、目立たないように黒色に塗装しました。
    エアコン本体は、メンバーが中古品を寄贈したもので、電気工事はメンバーの電工事資格取得者が行ないました。
    車内の電気工事は、すべてメンバーの有資格者が行なっています。
   前面の整備
    前面貫通ドアの修理、Hゴム取替、前面ガラス・種別表示窓・行先表示窓のHゴム取替
    列車種別表示の行燈100V化、行先表示器機械の修理と100V化で行先表示の動作・点灯
    標識灯(尾灯・通過表示灯)のレンズ整備と100V点灯改造
    穴あき部の板金、パテ修理、アイボリー仮塗装、ブルー帯仮塗装
    切抜き番号「801」表示を「1801」に
    連結器・胴受け塗装

   運転室関係
    主幹制御器(マスコン)、ブレーキ弁、ワイパーエンジン・コック、圧力計、ATS表示灯・切替SW、制御表示灯
    列車無線送受話器・スピーカー、車内電話、連絡用ブザー釦、扇風機、扇風機・防曇ガラスSW、サンバイザー
    などの仮取付。
    これらの機器は、メンバーが長年収集していた部品を提供しています。
   箱根ロープウェイ搬器
    7月に熱海個人より譲り受けた箱根ロープウェイ初代105号搬器(昭和34年製)を現地より搬送し
    調査、清掃、一部塗装など
   出張作業など
    山梨県内の企業で再利用されている、元小田急2212号の前面ガラスのHゴムが劣化し、ガラスが脱落寸前だったため
    当会より修繕の申し出をして、9月にメンバーが現地に出張しHゴムの取替作業を行いました。
    その際、欠落していた行先・種別幕を「急行」「箱根湯本/江ノ島」表示のレプリカを取り付けました。
    11月には、小田急趣味界の大先輩で著名な生方良雄様と戸井眞雄様が現地見学に来てくださいました。
    

  2015年の作業など
     谷側(山側)の床下機器に続いて牛舎側(海側)の床下機器の修復を進め、9月に制御装置箱や断流器が付いて一応完成になりました
     車体の修理は上半期は雨ばかりに祟られて作業が進まず、全部側面が1m程度終わっただけでした。
     屋根上につきましては、シーズン前半に雨の間のわずかな時間で再塗装を行いました。
     一部雨どいなどに雨漏りの前兆があったため、コーキング剤を注入して修復しました。
     運転室谷側の側開き戸を取り外して修理していましたが、扉の修理が終わりました。
     側開き戸の取り付け部柱が腐っていて、知り合いの工務店で柱を作っていただき取り付けました。
     側開き戸の取り付けに際し、建付けがうまくいかず、仮取り付けとなりました。
     側開き戸柱部分の取り外しに伴い、その付近の壁も取り外す必要に迫られ、現在壁がない状態です。
     パンタにつきましては、雨の影響で手つかずのままでシーズンを終わりました。
     箱根ロープウェイゴンドラ修復は、今年度はほぼ手つかずの状態でした。
     4月に山梨県の企業に現存している2211号と2212号の整備を行いました(前年に続いて2211号のHゴムを取り替え)
     直接は関係ありませんが、5月に引退した大山ケーブルカー「たんざわ号」保存に協力しました。

  2016年度の作業予定
     引き続き車体側面の修復を行いますが、牛舎側は一時休止して谷川を優先に進めていきます。
     運転室とその周囲の修復を進めます。
     屋根上の再塗装は必要に応じて行います。
     パンタグラフはPS13の痛みが激しいため、当面は現行のPT42を取り付けておきます。
     ロープウェイゴンドラの修復準備をいたします。



○今後の活動について

 将来的には、ドアの開閉機能や灯具類の点灯など各機器の一部を稼働できる状態にして、
「大人の電車ごっこ」が出来るようにしたいと思います。

 形態的には、小田急晩年の姿を基本として修復していきますが、
 忠実に再現するのは、失われた部分や改造された部分もあり難しいため
 ある程度は妥協して小田急時代最晩年の姿に近い形で修繕したいと考えます。
 
 出来ればPS13パンタを載せて貫通ドアが変わる前の昭和48年頃の姿にもしたいと考えています。

 車両後部1/3は、ミーティングルームや資料室として整備し、往年の映像や写真、
 走行音などが楽しめるようにして、趣味的な小田急の資料の収集にも努めていきます。

デハ1801は、「遊んで集える保存車両」をめざして、 小田急ファン集いの場にしたいと思います。

また、全国の車両保存活動を行っている仲間と連携して、車両の保存や整備について
 情報の交換を行い地域や仲間の親睦に貢献できるようにしたいと考えています。

今後とも是非多くの小田急ファンのみなさまに参加、ご協力いただきたいと思います。